人生とは連続する刹那である。幸せな人生を送るために必要なこととは。

幸せな人生を歩みたい。

楽しく人生を終えたい。

楽して人生楽しみたい。

誰しも、こんな風に考えたことがあるんじゃないでしょうか…?最後の「楽して人生楽しみたい」は、正直けっこう個人的な願望ですが笑。今回はそんな願望の中の一つ、「幸せな人生を送りたい」について考えてみました。

具体的には、「幸せな人生とは何か?」、「幸せな人生を歩むための方法とは何か?」、そのあたりについて、私がこれまで生きてきた限りにおいて見出した答えを書いてみようと思います。

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幸せな人生とはなにか?

「私は誰かの役に立っている」と感じられる人生

「幸せな人生を歩むための方法とは何か?」を語る前に、まず、「幸せな人生とは何か?」という定義の話からしなければいけません。

例えば、私が大好きな『嫌われる勇気』には、幸福(「幸せな人生」とは少し違う表現ですが)について、次にように書いてあります。

幸福とは、貢献感である。

『嫌われる勇気』p.253

もう少し説明すると、人は、誰かの役に立っていると感じた時(貢献感)、幸せを感じられるということです。

私の場合を例に挙げると、例えば、家族が使った食器をシンクで洗っているとき。私がお皿を洗うことで、家族みんなが毎日きれいな食器でおいしいごはんを食べることができるわけです。誰かがお皿を洗わないと、食器は溜まっていく一方で、そのうちごはんが食べられなくなりますから。他にも、洗濯ものを干してる時とか家の中を掃除してる時とか…。…くだらないと思われるかもしれませんが、まぁ、そういうことです。

次に家の外に出てみると、例えば私たちが仕事をしている時とか。私たち(サラリーマンの場合)は、仕事において労働力を雇用主に提供し、その見返り(対価)として給料をもらっています(表現かたっ!)。私たちが今日どんな仕事をしていたとしても、その仕事が今日の世の中に立派に存在する以上、社会からなにかしら必要とされている仕事である、ということができるはずです(『幸せになる勇気』p.193,194)。

つまり、私たちが週に5日、イヤイヤ行っている(かもしれない)仕事も、誰かの役に立っている(社会に必要とされている)ということです。…ちょっと大げさな表現かもしれませんが、まぁ、そういうことです。ここでひとつ大事なことは、主観的に貢献感を感じられることが、幸せに生きていくためには必要である、ということ。

もうちょっと言うと、私が誰かの役に立っているかどうかを判断するのは、私自身ではない。これは他者の課題であって、私が介入できる問題ではない、ということ。

詳しくはこちら。↓

私は家族の役に立っている ―他者貢献という考え方―
人が幸福を感じるとき、それは「私は誰かの役に立っている」と感じられる時である。「嫌われる勇気」にはこう書いてあります。誰からも感謝されない上にとても大変な子育ての中で、どうすれば幸せを感じられるのか?私の答えは、…貢献感です。

つまり、何が言いたかったかというと、「幸せな人生とはなにか?」に対する答えの一つ。それは、「私は誰かの役に立っている」と感じられる人生である、ということ。

今日が人生最期の一日だったとしたら?を考えてみる

かの有名なアップルの創業者・スティーブジョブズは、2005年6月、米スタンフォード大の卒業式で有名な演説をしました。

この演説でジョブズは、三つの話をしました。それは、①点と点をつなげる、②愛と敗北、③死について。

三つ目の「死について」で、ジョブズは次のような名言を残しました。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳 (日本経済新聞 2011/10/9)

動画もあるので、気になった人はぜひ。↓

スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ(日本語字幕)

ジョブズは毎朝、「私は今日死ぬかもしれない」と考えていました。なぜなら、人が死ぬと分かったとき、多くの希望やプライドや不安など、そんなものは意味を持たなくなるから。つまり、どうでもよくなるから。

こうして、「多くの希望やプライドや不安などはどうでもいい」と思えたとき、人生の中で本当に大切な選択ができる。…そんな風に毎日考えながら、ジョブズは偉業を成し遂げた、ということです。

別に、私たち誰しもがジョブズのように偉業を成し遂げられるわけではありません。ただ、ジョブズのような偉人が残した名言の中に、私たちが幸せに生きるためのヒントが隠されているのかもしれない。だったら、それを拝借してみよう!…そんな感じですねー。

ちなみに、このジョブズの名スピーチ、私は一度YouTubeで見たことがあります。ですが、その時は「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」の部分をそんなに気にしてなかったんです。

それに気づかせてくれたのは、メンタリストDaiGoさんなんですねー。

DaiGoさんはYouTubeとニコニコ動画のチャンネルで、私たちが幸せになるための方法、賢く生きるための方法なんかについて、たくさん動画を公開しています。その中の一つをたまたま見ていた時、このジョブズの名言を紹介されたのでした。この記事を見に来てくれるような人には、きっと役に立つんじゃないかと思いますよ。↓

メンタリスト DaiGo
1日3回くらい、YouTube LIVEで最新の心理学を解説。 ★単価1円以下で心理学動画見放題のニコニコチャンネルはこちら▶️ ニコ生有料チャンネル1位 作家(累計300万部突破) 読書家(年3000冊以上) 企業顧問、慶応卒 英国のメンタリズムを日本に初めて紹介、...

まとめると、「幸せな人生とはなにか?」に対する二つ目の答えはこちら。

それは、「今日が人生最期の一日だったとしたら、私は後悔のない一日を送ることができるだろうか」を考えてみること。そして、「後悔はない」と思える一日を送ること。

連続する刹那を生きる、ということ

人生は、旅やダンスと一緒である

今度は、私の大好きな『嫌われる勇気』シリーズからの引用です。『嫌われる勇気』に出てくる哲人は、私たちの人生をダンスや旅に例えています。

哲人:こう考えてください。人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡した時に「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。…(中略)…ダンスにおいては、踊ることそれ自体が目的であって、ダンスによってどこかに到達しようとは誰も思わないでしょう。無論、踊った結果としてどこかに到達することはあります。踊っているのですから、その場にとどまることはありません。しかし、目的地は存在しないのです。

『嫌われる勇気』p.266,267

人生とは、ダンスを踊るようなものである。ダンスは、踊ることそれ自体が目的であり、ダンスを踊ってどこかに行こうとは思わないから。ってことですね。

つまり、人生の目的なんて存在しないってことになります。他にも、哲人は人生を旅にも例えてこう言っています。↓

哲人:旅という行為の目的はなんでしょう?たとえばあなたがエジプトに旅をする。このときあなたは、なるべく効率的に、なるべく早くクフ王とピラミッドに到着し、そのまま最短距離で帰ってこようとしますか?そんなものは旅とは呼べません。家から一歩出た瞬間、それはすでに「旅」であるはずです。もちろん、なんらかの事情でピラミッドにたどり着けなかったとしても、「旅」をしなかったことにはならない。それがエネルゲイア的な人生です。

…(中略)…

登頂の目的が「登頂すること」にあるのなら、それはキーネーシス的な行為でしょう。極端な話をするなら、ヘリコプターで山頂に向かい、5分ほど滞在し、再びヘリコプターで帰ってもかまわない。もちろん山頂にたどり着けなかった場合、その登山は失敗だということになります。しかし、目的が登頂ではなく登山そのものであれば、エネルゲイア的ということができます。結果として山頂にたどり着くかどうかは関係ないわけです。

『嫌われる勇気』p.268,269

キーネーシス的な人生とは?

エネルゲイア的、キーネーシス的って意味については、すいませんが、本書を手にとってご確認を。そこまで説明しちゃうと、引用ばっかしになっちゃうんでねー…。笑

一応ざっくりと説明すると(説明するんかい!)、キーネーシス的ってのは、「すべての物事には始まりと終わりがある」ってことで、その始まりと終わりの間はできるだけ効率的に結んだ方がいいよねーって感じ。

例えば、私ができるだけ効率的にプロ野球選手になろうと思ったら、地元の名門リトルチームに入って、名門高校野球部のスカウトに目をつけてもらう。そのまま大阪桐蔭とか仙台育英とかに進学して、レギュラーを狙いつつ甲子園を目指す。で、3年生の秋にドラフト会議の高校生枠でどこかの球団に指名される。ドラフト会議で球団に指名されるのがゴールだから、そこまでの道のりはできるだけ最短コースであるほうが、効率的でいいわけです。

その途中で肩を故障して野球選手から転向せざるを得なくなったり、あるいは興味・関心が移り変わってサッカーとかバンドとかにハマっちゃった場合、私の野球人生は「失敗」に終わった、という表現になろうかと思われます。

エネルゲイア的な人生とは?

それとは別に、エネルゲイア的ってのは、「やっていることすべてが、その瞬間瞬間ですでに完結している」ってことんー、哲学的-…。このエネルゲイア的なものが、さっき言ったダンスとか旅とかなのです。

つまり、「今、この瞬間」にダンスしたり旅をしたりすること。それだけで、もうダンスも旅も完結しているってことですねー。…すんません、私、ダンスには疎いもので、ここは旅の話だけいたします。

例えば旅は、それをやること自体に意味があるわけで、家から外に出た瞬間に旅は始まってるし、同時に完結してもいるのです。お目当ての万里の長城が見られなかったとか、北京の故宮博物館が閉まってて入れなかったとか、そんな感じでたとえ予定通りの行程にはならなかったとしても、それも含めての旅なのです。決して、旅をしなかったことにはなりません。

個人的には、むしろ多少のトラブルがあった方が旅らしくてよろしいんじゃないかと(笑)。

さっきの野球の話でもおんなじことが言えるわけです。さっきの話を、「私の野球人生」としてとらえた場合には「失敗」と呼ぶのかもしれません。でも、私がその瞬間瞬間を真剣に生きてきた結果、たまたまエレキギターにハマってしまって、そのまま軽音楽部に入ってしまいました、なんて場合、まさに私は「旅」をしているわけです。

仮に旅が「失敗」しなかったとしても、つまり野球人生をそのまま歩み続けていたとしても、毎日の野球の練習に真剣に取り組む。ベースランニングとか、ノックとか、トスバッティングとか、その時その時の課題に真剣に取り組む。そんな姿が、「旅」をしている私の姿なんじゃないでしょうか?

多少のトラブルがあったほうが旅はおもしろい

そして、私は旅の「途上」にいるのかもしれないけれど、実はもうすでに「完結」してもいるわけです。どんな旅にも「失敗」はありません。

っていうか、ずーっと野球に打ち込むつもりが、ひょんなことでバンドマンに変身しちゃった、なんて、「旅」のトラブルとしては上等!むしろ、そんな風にトラブルがあった方が「旅」は面白い!!…なーんて思うのは私だけでしょうか?笑

つまりつまり、私たちはキーネーシス的な人生ではなく、エネルゲイア的な人生を歩みましょー!…分かりやすく言うと、私たちは、過去や未来をぼんやりと見つめながら今を生きるのではなく、過去や未来ではない、「いま、ここ」を真剣に見つめて生きることが大事である!っていうのが『嫌われる勇気』の主張であり、それに影響を受けている私の主張なのです。

ビンボーパパの人生の捉えかた

波乱万丈な人生、だけど予定通り

「偉そうなこと言うとるけど、そんなアンタはどうやねん!?」って言われそうなので、すこーしだけ、私が自分の人生をどう捉えているのか、について話そうと思います。

過去記事にも載せてますけど、私は大学4年の時に奥さんと結婚して、卒業する前に子どもが生まれています。そこから福祉の仕事について、3年後に転職して、今まで専業主夫ならぬ「兼業主夫」としてなんやかんややってきているわけです。新卒でバリバリ残業しながら頑張ってる人から見たら、「失敗した」人生なのかもしれませぬ。

ただ、実は、私からしたら今のこの生き方、けっこう予定通りなんですよねー(いったいどんな予定立ててたの!?)。例えば、さっき言うたように私は大学生の時に結婚して子ども生まれてますけど、これも予定通りなんです。私は結婚願望が強くって、子どもは絶対欲しいと思って生きてきた人間なので。

ただ、予定通りとは言っても、さすがに「大学生の時に結婚して子どもをつくる予定」まではなかったので、当時を振り返っての正直な感想は、「私は結婚したかったし、子どもも欲しかったけど、思ったよりもめちゃくちゃ早かったなー」って感じ。

「大学生でデキ婚なんて、なんかDQN笑」って思う人も中にはいるのでしょうけど、これについては、「なんか人生スパイシーねぇ…」くらいの感じ。「どーせ一度きりの人生だし、人とおんなじ人生なんてつまんないしー笑。」って言うとさすがに言い過ぎかもしれませんが、まぁ、ざっくりと表現するとそんな感じ。波乱万丈な人生、それ自体が予定通り、なんて感じでしょうか?

私の人生(たかだか二十数年ですが笑)の中で、「あの時こうしていたらもっと今稼げていたかも」とか「あの時あれをしなかったら今頃もっと楽して生活できてたのかも」とか思うことはありますが、後悔したことはございませぬ。ただ、脳科学?心理学?的には、人間は過去の都合の悪いことは忘れて、都合のいいことだけ記憶に残す生き物だそうで。それを踏まえると、私は都合の悪いことを忘れているから人生に満足しているだけ、なのかもしれませんけどね…笑。

私は今死ぬかもしれない

私はふと、「明日私死ぬかも」とか「まさに今、車運転してるときに突然事故って死ぬかも」なんて考えることがあります。

スティーブジョブズの話ではないですけど。そんなことを考えた日は、子どもたちへのスキンシップが少しだけ多くなる、…ような気がしております。まぁ、冗談でもなんでもなく、実際にまったくの偶然によって人は死ぬわけですので、極端な話でもないかと。

そんなことを考えながら毎日を過ごすことで、ほんの少しでも充実した日になるような、ならないような、そんなことを考える今日この頃です。

「最良の別れ」に向けた不断の努力

最後に『幸せになる勇気』から、「別れ」に関する一節を紹介して終わりたいと思います。

これは、最初に紹介したジョブズの言葉とか、今紹介した私の話なんかに関連するものです。私たちが「いま、ここ」を真剣に生きなきゃいけない理由として、ピッタリなんじゃないかと思う一節ですよー。

哲人:…覚えておいてください。われわれに与えられた時間は、有限なものです。そして時間が有限である以上、すべての対人関係は「別れ」を前提に成り立っています。ニヒリズムの言葉ではなく、現実としてわれわれは、別れるために出会うのです。…(中略)…すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。それだけです。…(中略)…いつか別れる日がやってきたとき、「この人と出会い、この人とともに過ごした時間は、間違いじゃなかった」と納得できるよう、不断の努力を傾けるのです。生徒たちとの関係においても、ご両親との関係においても、そして愛する人との関係においても。…(中略)…「いま、ここを真剣に生きる」とは、そういう意味です。

『幸せになる勇気』p.277,278

私たちは、いまこの瞬間に、大切な家族や友人や恋人と別れることになるかもしれない。今この瞬間、ではなくとも、必ずいつかは別れがやってくるわけです。

そして、いつか「別れ」がやってきたとき、それが後悔のないすがすがしい「別れ」となるよう、不断の努力を傾ける。それがつまり「いま、ここ」を真剣に生きる、ということなのです。

出典:岸見一郎、古賀史健 (2013)『嫌われる勇気』ダイヤモンド社
岸見一郎、古賀史健 (2016)『幸せになる勇気』ダイヤモンド社

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