子どもへの尊敬 子どものありのままを認める、ということ

買い物するときのいつもの風景。がんばって絵を描いてみました。…疲れたっ!
買い物するときのいつもの風景。がんばって絵を描いてみました。…疲れたっ!

ビンボーパパです。

年の瀬です。早いです。もう1年が終わっちゃいます。来年には私、27歳になっちゃいます。

ふと考えてみると恐ろしい。…もう27歳。「おっさん」と呼ばれることに対して、だんだん抵抗しづらくなってくる年頃…。
(ーー゛)

…何が怖いのか、なんで怖いのか、そのあたりがよく整理できてませんが、27歳になるのがただただ怖い、今日この頃です(笑)。

Sponsored Links
Simplicityのレクタングル広告(大)

子育てと買い物

私が最近感じたことをちょっと書こうと思います。

前にも書いたかもしれませんが、私が家で担ってる大きな仕事の一つが、料理なんです。そして、わが家で唯一の車をいっつも使ってるのも私なんで、食料品の買い出しも私の仕事なんですね。とてもじゃないけど、歩いて買い出しには行かれんのんで…。家の周り、なんもないし。

ってことで、私は二日に一回くらいのペースで、近所にあるお気に入りのスーパーに買い出しに行っております。
^ ^

子連れで買い物=筋トレ

私が買い出しに行く時は、だいたいは二人の子どもちゃんと一緒です。それと、私が子どもちゃんと一緒に買い物する時は、いっつもカゴを入れたカートを押すんですね。

だって、手にカゴ持つよりも、その方が楽なんで。一回に買う量がけっこうあるし、たまーに娘ちゃんに「抱っこー」って言われる時もあるし。片手で重ーいカゴ、片手で16kgの人間を抱えて買い物だなんて、これはいったい何の修行(競技?筋トレ?)なんでしょう…?
(;ω;)

ってな感じで、私は子どもちゃんと一緒に買い物してます。

子ども用のカート

で、そのカートを押す時なんですけど、そのスーパーには子ども用のカートがあって、なんか車みたいになっとるんですね。

子ども用のカート

ドアもあるしハンドルもあるし、おまけに給油口までついとるし。本格的ー!そして、うちの子どもちゃんらは、このカートに乗るのがホントに大好きなんです。
(*´∀`*)

私だって、ちいちゃかった頃はこんなやつに乗るのが楽しみだったはずです。

カートで遊ぶ子どもへのイライラ

ここからがやっと本題なんですが、この子ども用カートって(子ども用カートに限らず)、押すところの近くに注意書きがいーっぱい書いてあるんですね。あれするな、これするなって。

子ども用のカートに書いてある注意書き。…子どもが大好きなことばっかり。^^;

子ども用のカートに書いてある注意書き。…子どもが大好きなことばっかり。^^;

ところが困ったことに、子どもって「あれするな、これするな」って言われたことをやりたがるんです…。やれやれ。

この話、子を持つ親なら誰でもうなずいてくれると信じてます…。

さて、いったいこれをどうしたものか…?
(´ー`)

今は子どもがすんごい乗り方しても、ほとんど怒らない(たまーに怒る)私ですが、前はよく怒ってた気がします。

だって、子どもちゃんらは、カゴを置くところに上がろうとするし、ヨット(セーリング?)みたいにカートから外に体をのけぞらせてみるし…。彼らは本当に楽しそうにカートに乗って遊ぶんですよね。

カートで遊ぶ子どもちゃん。やめられない、止まらない~♪

カートで遊ぶ子どもちゃん。やめられない、止まらない~♪

で、それを見ちゃあ「やめろ!降りろ!」って私は怒ってました。
o(`ω´ )o

子育てと自立と尊敬

そんな時に『幸せになる勇気』を読んでたらおもしろい内容が書いてあったので、ここで紹介しようと思います。

子育ての目標は「自立」

以前私は、こんなことを書きました。

教育(子育て)の目標は自立である。私たち(親)は、常に「子どもの自立とは何か?今の私の言動は子どもの自立のためになっているのか?」を考えながら子育てしなきゃいけん。↓

子どもに怒るのは、子どもの「自立」のため?それとも…
子育ての目的は、子どもの自立。じゃあ、子どもに怒る目的も子どもの「自立」?…って考えてみると、子どもに怒る必要って意外とないんじゃないの?なぜかというと…

「自立」の入り口は「尊敬」

で、この「自立」について、岸見さん、古賀さんはこう言っています。

教育、指導、援助が「自立」という目標を掲げるとき、その入り口はどこにあるのか。

…(中略)…

答えはひとつ、「尊敬」です。

…(中略)…

これは親子であれ、あるいは会社組織の中であれ、どのような対人関係でも同じです。まずは親が子供を尊敬し、上司が部下を尊敬する。役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。

『幸せになる勇気』(p.40,41)

つまり、これを子育てに当てはめると、

子育ての目標は「自立」である。そして、「自立」の入り口は「尊敬」である。

ってことになります。

「尊敬」とは、その人のありのままを受け入れること

で、今度は「尊敬ってなんぞや?」って言うと…↓

尊敬とは何か?こんな言葉を紹介しましょう。「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」アドラーと同じ時代に、ナチスの迫害を逃れてドイツからアメリカに渡った社会心理学者、エーリッヒ・フロムの言葉です。

…(中略)…

さらにフロムは、こう付け加えます。「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」と。

…(中略)…

なにひとつ否定せず、なにひとつ強要せず、ありのままの「その人らしさ」を受け入れ、尊重する。つまり、相手の尊厳を守りつつ、関心を寄せていく。その具体的な第一歩がどこにあるか、お分かりになりますか?

…(中略)…

これはきわめて論理的な帰結です。「他者の関心事」に関心を寄せるのです。

『幸せになる勇気』(p.43,51)

ここまでのまとめ

なんか一気に突っ走った感がありますが、まとめると次のような感じです。

子育ての目標は「自立」である。そして、「自立」の入り口は「尊敬」である。そしてそして、「尊敬」のはじめの一歩は「『他者の関心事』に関心を寄せること」である。

ってことです。

「他者の関心事」に関心を寄せる

「…『ってことです。』って言われても、抽象的すぎてちっとも分からん!」って話になると思うんで、こっからはちょっと具体的な話をしてみようと思います。

さっき書いた、スーパーのカートの話です。

っていうか、なんで今回こんな話しとるんかって言うと、そもそもの出発点は「どうしたら、子どもにイライラしない子育てができるのか?」なんです。

私、いろんな記事を書いてますけど、この疑問から出発する内容が多いんですよねー、たぶん。

で、そんな疑問を感じた時に、「私って何のために子どもに怒ってるんだろ…?」とか「何のために子育てしてんだろ…?」とかを考えてみると、何かしらのヒントが見えてくるんじゃないかなー…なんて考えてます。そもそも論的?な、物事の本質的?な話です。

そんな感じの流れで今回の話(「そもそも、子育ての目標って何?」)につながるわけです。

なんでこんな話するんかっていう説明、なんとなくできたかしら?

カートに乗るのはみんな好き!?

カートでアスレチックみたいに遊ぶのが大好きな子どもちゃん。そして、そんな彼らに怒る私。

…でも、私がかつてそうだった(はず)ように、カートに乗って遊ぶのってやっぱ楽しいんですわ、これが。
ウンウン(゚▽゚*(。_。*(゚▽゚*(。_。*)

私だって、もういい加減子どもとは呼べない年(投稿日現在26)です。それでも、もしもスーパーの中に私ひとり、みたいな状況があれば、カートに片足ケンケンしながら「ヒューッ!」ってやっちゃうかも知れません(笑)。

それとか、もしもだーれも来ないエスカレーターがあれば、「めちゃイケ」のワンシーンみたいに全速力で逆走しちゃうかも知れません(笑)。

じゃあなんで私がそれをせんのんかと言うたら、まずは恥ずかしいから。次に、マナー・モラルに反してるから(スーパーのカートは、片足ケンケンして滑るためには作られていない。それにそんなことしたら危ない。エスカレーターも、逆走するために作られてはいない、はず)。

でも、当の子どもからしたら、そんなことなんて知りません。周りの人から教えられない限りは。だから、知らないことはこっちから伝えんといけんっちゅうことですね。↓

子どもに怒るのは、子どもの「自立」のため?それとも…
子育ての目的は、子どもの自立。じゃあ、子どもに怒る目的も子どもの「自立」?…って考えてみると、子どもに怒る必要って意外とないんじゃないの?なぜかというと…

少しくらい、子どもを大目に見てあげてもいいんじゃない?

それでも、やっぱりカートで遊びたくなるのが子どもなんですよね、たぶん。

そんなこんなをいろいろ考えてみて、私は最近こう考えるようになりました。

周りの人に迷惑がかからなかったり、子ども本人が大けがをしそうになかったりする状況だったら、カートに変な乗り方してても、多少は目をつぶってあげていいんじゃないだろうか。
( ´ ▽ ` )

ただ、これはいろんな条件付きの話です。

うちの子らは今まだ4歳と2歳だから、マナーの話しても難しいだろう。だから大目に見てる、っていう面がひとつ。

あとは、子どもらの体重がまだ軽いから、多少変な乗り方してもカートは耐えられるはず!もしもカートが壊れたら弁償します、ごめんなさい!!っていう、ガーナチョコレートのように甘ーい希望的観測、っていう面がひとつ。

それと、「多少は目をつぶる」っつっても、あんまりひどかったら注意しまっせ、っていう面がひとつ。

で、なんでこんな風に考えるんかっていうと、それは、さっき書いた「『他者の関心事』に関心を寄せること」が大事だと思うようになったからです。

買い物するための道具として使うはずのカートに乗って遊ぶのは、確かによろしゅうない。それは、怒られて然るべきことなのかも知れない。

でも、そんな彼らの行動にとりあえず関心を寄せてみよう。子どもちゃんを「尊敬」するために、まずはありのままの彼らを私が受け入れてみよう。こうやって子どもちゃんを「尊敬」することができたら、彼らを怒らずに済むようになるかもしれない…。
(*´ー`*)

…そんな感じです。

子どもに寄り添って見えるもの

なんか意外にかっこよく書けちゃってますが(笑)、雑な言い方をすると「放置プレイ」です。

で、私はそんな子どもちゃんを見守りながら買い物するわけなんですが、彼らはけっこう器用なんですよねー。うまーく足場(?)を使ってカートに登るんです。たまに「へぇー。そうやって登るのね。」「意外とけっこうやるじゃん」なんて感心しちゃったりして。
(・д・)ホォー

まぁ、そうは言っても注意するときゃするし、彼らの遊びの度が過ぎたら、怒っちゃう時もあるし…。完全な「放置プレイ」じゃないから、ま、いっか!みたいな感じ?で、いっつも買い物に出かけるビンボーパパ一家なのです。

周りの視線は「他者の課題」

…正直に言えば、周りの人からよく思われとらん時があるんかも知れませんね。

「何あの親?カートの上に子ども立たせて、注意のひとつもせんの?なっとらんねぇ…」みたいな。最近の表現で言うと、「DQNなバカ親」って思われとったりして(笑)。

この点については、『嫌われる勇気』で言うところの「他者の課題」なので、私にはどうすることもできません。↓
^_^;

劣等感について(2) ―劣等感をいい方向に利用するために―
私たち誰もが持っている劣等感。これはよくも悪くも作用します。もしも劣等感をいい方向に利用したいなら、私たちが行動するときの「目的」を考えましょう。「目的」が変われば「行動」が変わる!「行動」が変われば「人生」が変わる!!

だから、そんなことは気にしないことです。自分が信じる道を歩き続ける限りはね。
^ ^

ただ、最近は子どもちゃんの成長が目まぐるしいんで、彼らがカートに乗ると、たまーにカートがグラって傾くんですよね。もういい加減、カートに乗るには(特にお兄ちゃんの)体格が大きすぎる。っていうか、年齢制限(目安?的なやつ)超えてるし。

なんで、そろそろ本気で、カートに乗るのは卒業してもらおかなー、…なんて考えてる今日この頃です。
(・´ω`・)困ッタナァ…

出典:岸見一郎、古賀史健 (2016)『幸せになる勇気』ダイヤモンド社​

Sponsored Links
Simplicityのレクタングル広告(大)
Simplicityのレクタングル広告(大)

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Follow