子どもに怒るのは、子どもの「自立」のため?それとも…

この日は、普段(特に)怒ってばっかりの息子ちゃんと二人デート。♡たまにはこんぐらいせにゃね…。
この日は、普段(特に)怒ってばっかりの息子ちゃんと二人デート。♡たまにはこんぐらいせにゃね…。

ビンボーパパです。

とうとう、やつがやってきました。…やつです、「寒さ」です。夏が大好きで冬が大っ嫌いな私。そんな私にとっての超強力な敵、それが「寒さ」なんです。なぜなら、「やつ」は朝、私が布団から出ることをなかなか許してくれないからです。

…はい、すんません、私の意思が弱いだけなんです。朝ちゃんと起きられるように頑張ります…。
(-_-)

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私は何のために子どもに怒っているの?

前回私は、「子育ての目標って何?」っていう話を書きました。結論から言うと、それはズバリ、子どもの「自立」です。↓

イライラしない子育てをする方法 ―子育ての目標って何?を考える―
子育ての中でつい、子どもに「あれしろ!これしろ!」って言っちゃう私たち(親)…。ママパパはいったい何のために、子どもにあれこれ言っちゃうんでしょう…?結論から言うとズバリ、それは子どもの「自立」のため…?

そこで、いっつも家の中で子どもちゃんに怒ってばっかりの私について。

「私は果たして子どもの『自立』のために怒ったりしているんだろうか?」っていう疑問から、今回の話を始めようと思います。

まずは、息子ちゃんが大好きな公園でデート。

まずは、息子ちゃんが大好きな公園でデート。

わが家の子育てについて

それじゃあここでちょっと、わが家の子育ての「例えば」を紹介したいと思います。

私って、子どもちゃんに普段どんなことを言ってるんでしょうね?

こうやって文字に起こすと、自分がやってることが少し客観的に見られるから、意外と自分自身のことが分かって、勉強になるんです。
(`・∀・´)

・嫌いなもんでも、全部食べろ。おかわりするのは全部食べてから。
・立ったままごはんを食べるな、いすに座って食べろ。
・「ごちそうさま」したら、自分の食器は自分で下げろ。
・ごはんを食べるのは、床に出したおもちゃを片づけてから。片づける前に食べるな。

・トイレから出たら、すぐに手を洗え。
・テレビをすぐ近くで見るな、ソファらへんで見ろ。
・車のシートベルトを外すのは、運転手(私)が外した後。まだ車が道を走ってるのに、勝手に外すな。
・スーパーで、買うつもりのないもんをむやみやたらに触るな。
・親に向かって「おい」はやめろ。
・ケンカするときは、武器を持つな、あと顔面を狙うのは禁止。
・(みんな布団に入ったあと)早く寝ろ!お互いに喋るな!
・(時間がない時、早く車を出したい時)早くチャイルドシートに座れ!

・(私が疲れてる時)言うこと聞け!早くしろ!
・(とにかく)うるさい!

・(子どもが頑張って何かできた時)よかったねー!
・(子どもが私にスマホを渡してくれた時とか)ありがとー!
・(食器を下げてくれたら)ありがとー!

何も考えず、思い出すがままに書き出してみました。いやぁ…よく怒ってますね。いかに私が短気かがよーくわかります。
( ̄O ̄;)

それともひょっとしたら、ママパパってみんなこんな感じなんですか?…だったら私、「普通」ってことになりますね(笑)。

私の「怒り」を自己分析してみた

ここから、ちょっと自己分析してみようと思います。

私がどんな感じで子どもに接しているのか、何を目的に子どもに怒っているのか、を知るためです。

私が子どもに怒る時

さっきも書いたんですけど、私、本当によく子どもに怒ってます。
m(_ _)m

で、その内訳を見てみると、だいたいはマナーとか礼儀・作法についてなんですよね。しかも、ごはん関係で怒ることが多い。「立ったままごはん食べるな」とか、「自分の食器は自分で下げろ」とか。

でも、ここで一つおもしろいのが、子どもに怒ってる当の本人(私)がこれらを守っとらんってことです。例えば、子どもには「座って食べろ」と言いながら、その側で立ったままごはんを食べる、とか。

なんでそんなことするんかって言うと、私、一度でも座ってごはんを食べ始めると、まったりしちゃって、その場に落ち着いちゃうんですね。そしたら、皿洗いとか、お風呂の準備とか、明日の保育園の準備とか、やらなあかんことは山ほどあるのに、それができんくなってしまうんです。

…ただ、子どもに「座って食べろ」って言ってる建前、「これはよくないよなぁ」って思いながらも、やっぱり台所に立って食べてます。
(´-`).。oO

子どもに怒るのは、本当に「自立」のため?

それで、私が子どもに怒るのは、本当に子どもの「自立」のためになってるんでしょうか?

例えば「自分の食器は自分で下げる」なんてのは、「自分の身の回りのことができるようになる」っていう意味では、たしかに「自立」のためになってるような気がします。

けど、大人になっても食器を自分で下げない人はいるでしょうし、身の回りのこと(どこまでが「身の回りのこと」やねん?)全てまでは自分でしない人もいるでしょうし…。

そう考えると、なんか私が厳しすぎるんかもしれませんね。
^^;

…ていうか、本音を言うと、私が食器を下げる手間を省きたいから、子どもに食器を下げてほしい、っていうのもたしかにあるんですよね(笑)。好きなもんを食べるだけ食べて、「ごちそうさま」したら食器はほったらかし、ってなんかめっちゃ腹立つし…(笑)。

さらに本音を言うと、「子どもの自立のため」「私が手間を省くため」の比率は、たぶん3:7くらいです。3が「自立のため」。「自立のため」って言いながら、実は自分が楽したいだけの親なんです、私。

…でも、違う見方をすれば、「親が子どもにかける手間が減る」=「子どもの自立」って言えるんかもしれません。だって単純に考えれば、子ども自身にできることが増えれば増える(自立の度合いが高くなる)ほど、親が子どもにかける手間は減るはず、ですから。ってことは、私は「子どもの自立」のためだけを思って子育てしてるってこと!?

…なーんて考えてみれば、案外私ってまともに子育てしとるんかも!それとも、ただ単に楽観的すぎるんかも?
(^^;;

私の「怒り」の問題点

話を戻しますが、もしも「自分の食器は自分で下げるべき」だったとしても、そうしてもらうためのアプローチの仕方っていろいろあるはずなんですよね。

例えば「パパ、皿洗いで手が離せんけえ、お皿持ってきてくれたらパパ、とっても助かるなー♡」って言ってみるとか。

…私の性格上、こういうのって慣れなくってあんまり得意じゃないんです。思ったことをド直球で言っちゃうんで。…怒ることなく伝えるためのいろんな方法があるのに、私はあえて「食器を下げろ!」って怒ってるんですよねー。

ってことは、この「皿下げろ!」っていう私の怒り。これは、二つの点で改善の余地がありそうです。

一つ目は、その目的

子どもに自分でお皿を下げさせることは、子どもの自立のために本当に必要なのか?「自立のため」にしては厳しすぎるんじゃないのか?もっと子どもが大きくなってから(例えば小1になってから)でもいいんじゃないのか?はたまた、これはただ単に私のこだわりとか、感情(イライラ・怒り)とか、そんな理由だけで怒ってるんじゃないのか?…とか。

こうやってふと、「私、なんで子どもに怒ってるんだろう」って考えてみると、意外と怒る理由がなかったり理不尽な理由だったりするんですよねー(笑)。…反省です。

二つ目は、その手段

さっき書いたように「お皿下げてくれたら助かるなー」なんて言えば、子どもがその気になってやってくれるかもしれないのに。そういう方法を取らずにとりあえず怒ってしまうあたりが、奥さんに「あなた、子どもみたい」って言われる理由なんだと思います。

…私って瞬間湯沸かし器で、そのうえ頑固なところがあるみたいです。

公園で遊んだあとは、息子ちゃんのリクエストにお応えして、ミスドデート。…二人でドーナッツ9個は、キツかった。^^;

公園で遊んだあとは、息子ちゃんのリクエストにお応えして、ミスドデート。…二人でドーナッツ9個は、キツかった。^^;

知らないことは教えてあげないと

当たり前の話ですけど、子どもって(私が小さかった頃を含めて、みんなそうだと思いますが)、世の中知らないことだらけです。
(*´・д`)-д-)))ソゥソゥ

車に乗ったらシートベルトを着けないといけないことも知らないし、道の真ん中を歩いてたら車に轢かれるかもしれないことも、車にとって迷惑になることも知らないし。ハサミを持って振り回したら、周りの誰かに当たって怪我をするかもしれない、そんなことも最初は知りません。

それは対人関係についても言えることなんだと思います。「自分がほしいものを、何も言わずに黙って相手から取ったら相手はどう感じるか?」とか、「二人がほしがっているものが、一つしかない。そんな時はどうしたら二人とも納得できるのか?」とか。

そんな感じで、もしも子どもが知らないことがあるんなら、それを子どもに分かるように教えてあげなきゃいけません。そして、そこに怒りは必要ないんですね。↓

…われわれは誰しも「知らない」という地点からスタートします。「知らない」という事実をもって厳しく責めるのは、理にかなわない話だと思いませんか?…(中略)…われわれ大人たちに必要なのは叱責ではなく、教えることです。感情的になるのではなく、大きな声を出すのでもなく、理性の言葉で。

『幸せになる勇気』(p.87)

さっきの例になぞらえてみましょう。

「ハサミを持って振り回したら、周りの誰かに当たって怪我をするかもしれない」ということについて。

ハサミを持って振り回すこと、それが危ないことだと知らずにしてしまうこと、これって誰しも通る道なんじゃないかと思っています。そんな時、「危ないじゃろがぁっ!」って一喝するのはとっても簡単なことです。

でも、アドラー心理学に言わせれば、それはあまりに短絡的で理性に欠けた対処法なんだと思います。

これは私の解釈ですが、アドラー心理学は、人間の理性の強さを信じています。私たちは、過去の大きな出来事に今の生き方を左右されることもないし、それによって未来が決まることもない。それは子育てでも言えること。私たちは「怒り」さえもコントロールできるし、相手に「怒り」をもって伝えることも、「怒ること」なく伝えることもできる。

もう少し詳しく書くと、私たちがどう行動(思考)するかは、過去の出来事ではなく今私たちが持っている「目的」によって決まる、っていうことです。『嫌われる勇気』では、これを「目的論」と呼んで取り上げています。↓

人は怒りを捏造する!? ―目的論と原因論―
「人は怒りに駆られて大声を出すのではない、大声を出すために怒るのである。」これは、ビンボーパパが衝撃を受けた「目的論」という考え方です。「目的論」とは何か?なぜ「目的論」という考え方を理解しなければならないのか?…

私たちがすべきことは、理性をもって「今、私はどうするべきか」「これから私はどう生きるべきか」「この子に対してどう接するべきか」を考えること。その理性の使い方(?)しだいで、私たちの生き方はどんな風にも変えられる。そんなメッセージが、アドラー心理学には込められているんじゃあないでしょうか?
(。’-‘)(。,_,)ウンウン

…話を元に戻すと、ハサミを振り回している子は、それが危ないことだと知らないのかもしれません。

じゃあ、その子に分かるように、一緒に話をしてみましょう。

「このハサミって、紙を切るときに使うんよねえ。」
「紙が切れるってことは、もしも人の顔に当たったら、顔も切れてしまうかも知れんよね。」
「もしもお友達が持ってるハサミで自分が怪我したら、いやよね…?それに、お友達に怪我させるのもいやでしょ?」
「じゃあ、いやなことはやめよ?」

…って優しく言えたら、その子も自分の頭で考えて行動するようになるはず!

…はず、なんですが、そこでついつい「何しとんねーっ!!」って怒っちゃうのが親なんですね、きっと。

…でも、数か月ぶりのミスドはおいしかった。^ ^

…でも、数か月ぶりのミスドはおいしかった。^ ^

どうしても怒らんといけん時ってあるの?

でも、この記事を読んでる人の中には、こう考える人もいるんじゃないかと思います。

「危ないことしとるんじゃけ、そんな時ぐらいは子どもにきちんと怒らんと。」

例えば、子どもがボールを追いかけて道路に飛び出しそうになった時とか。

そんな時って、「こらっ!危なーいっ!!!」ってよく言いますよね?私もそんな状況で、子どもちゃんに怒ったことが数え切れないくらいあります。スーパーの駐車場とか、保育園の駐車場とかでね。

…まぁ、保育園の駐車場に限って言えば、そこに出入りする車ってほとんどがママパパの車なんですよね。だから、もしも子どもが道路を歩いとったら、そこは慎重すぎるくらい慎重に運転してくれるんで、その点は少し安心なんですけど…。でも、スーパーの駐車場だったらそんな風にはいかんし…。人が道路に飛び出すってことは、取りも直さず命を落とすかもしれんってことですからね。それを考えると、道路に飛び出すことの危険性を伝える手段として「怒る」ことは、必要なんかもしれませんね…。
^_^;

…てな感じで、「どうしても怒ってしまう場面」っていうか「怒らなきゃいけない場面」って、どっかに必ずあるんじゃないかなぁ…って、ふと思いました。ひょっとしたら、さっき書いたハサミの話でも、場面によっては怒らなきゃいけないんかも知れません。

子どもに怒ることについては、「ここでは必ず怒らなきゃいけない」とか「この場面では怒ってはいけない」とか、そんなルールなんてありません。

ましてや正解なんてありません。
(´σ `)?

それじゃあ、いつどんな時に子どもに怒るんかって言うと、それは、ママパパが小さい頃に得た経験から感じたこととか、おばあちゃんおじいちゃんのアドバイスとか、周りのママパパの対応のしかたとか。あとは、私が勉強してるアドラー心理学とか、実際の場面がどんな様子なんか、とか…。

そんなこんなを総合的に見て考えた結果、「ここは怒らんと」とか、「いや、ここはちょっと様子見しよ」とか、「ここは怒るんじゃなくって、二人でゆっくり話ししよ」とか、そんな解が出てくるんじゃないかと思います。

ただ、私の考え(意見というか理想というか…)は、子育ての目的とか子どもの自立の意味とかを突き詰めて考えてみた時、子どもに怒る必要って意外と少ないんじゃないの?ってことです。
(*´-ω・)ン?

てなことを言いながら、今日もかわいいかわいい子どもちゃんに怒ってしまう、私なのです…。

出典:岸見一郎、古賀史健 (2016)『幸せになる勇気』ダイヤモンド社​

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