劣等感について(2) ―劣等感をいい方向に利用するために―

公園で野球をする子どもたち。うちの子どもちゃんが大きくなったら、おんなじようにして遊びたいな…。^ ^
公園で野球をする子どもたち。うちの子どもちゃんが大きくなったら、おんなじようにして遊びたいな…。^ ^

ビンボーパパです。

この間、市の保育課から書類がきて、保育料が少しだけ下がりました!!!
ヽ(^。^)ノ

理由はよう分からんけど、住民税の徴収階層が一つ下がったみたい。ビンボーパパにとって、保育料ってバカにならんからね。…だってビンボーだから。支出が減るのは嬉しいです。
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劣等感を克服するカギは、課題の分離?

ビンボーパパと劣等感

前回私は、「劣等感とは何か?」について書きました。↓

劣等感について(1) ―劣等感は、生きるためのエネルギー?―
あなたには劣等感がありますか?劣等感にはよくないイメージがあるかも知れませんが、実は、劣等感こそ生きるためのエネルギーなんです!というのも…

そして、私自身の劣等感についても書きました。

ざっくり説明すると、私は他人と話すのが超絶怒涛に苦手なんです。
ガクガクブルブル((;゚Д゚))

でも、人と話すのがいつも苦手ってわけじゃなくって、たまーに人と話せなくなる時があるんです。それは、「なんか、相手からよく思われてないんじゃないかなぁ…」「なんか、この人今忙しそうで、ピリピリしててそうで、話しかけたら迷惑かなぁ…」なんて考えてしまう時です。

なんでこんな風になっちゃうのかというと、それはずばり、「他人が自分のことをどう思っているか」を気にしすぎるから、なんですよね…。そこから抜け出すはじめの一歩を踏み出すための方法の一つが、「課題の分離」という考え方なんじゃないかと私は考えています。↓

イライラしない子育てをする方法 ―課題の分離という考え方―
イライラしない子育てをするために必要な考え方の一つが、課題の分離。課題の分離ができれば、目の前の景色が少しシンプルになります。ビンボーパパは、この課題の分離を子育ての中で実践してみました。課題の分離とは…

課題の分離をしてみた

「課題の分離」を、「人になかなか話しかけられない」という問題に当てはめると、次のようになります。

相手に話しかけるのは私の課題。

だって、話しかけるか話しかけないかを決めるのは私。話しかけずに困るのも私。人に話しかける(話しかけない)という選択によってもたらされる結末を最終的に引き受ける(責任を取る?)のは、私なんです。

だから、これは私の課題。

でも、私に話しかけられた相手が私のことをどう思うかは、他者(相手)の課題です。

だって、私が相手に話しかけた結果、怒るのか怒らないのかを決めるのは相手。私ではありません。ひょっとしたら相手は怒るかもしれないし、怒らないかもしれません。でも、それは私ではなく相手が決めること。私にはどうすることもできません。つまり、私に話しかけられた結果、その結末を最終的に引き受ける(責任を取る??)のは、私ではなく相手なんです。

だから、これは他者(相手)の課題。もっと乱暴な言い方をすると、「(相手がどう思うかなんて)知ったこっちゃない!」っていう感じでしょうか。
(`⌒´)ノ

相手に嫌われてもいい、っていうわけじゃない

ただ、誤解してほしくないのは、相手に嫌われなさい、と言ってるわけではないということ。誰だって、好き好んで人から嫌われたいとは思わないでしょうから。ただ、嫌われることを恐れないようにできたら生きられたらいいね、ということです。(『嫌われる勇気』p.163)

今書いたのが「課題の分離」のだいたいの考え方です。

やっぱり、課題の分離は難しい…

この考え方を咀嚼して飲み込んで理解して、そして実践できれば、私の「人になかなか話しかけられない」という悩みは解決できるはず、なんですが…。それがなかなか実践できないのが、「課題の分離」の難しいところです。
(-ω- ?)

頑張って意識はしてるんですけどね…。
(´・ω・`)

そんな感じで、私の悩みとか考え方とかをこうやってブログに書けば、「嫌われる勇気」が少しでも実践できるんじゃないかなぁ…。と思って、このブログを書いてます。…そう簡単にはできませんけどね(笑)。

私のカメラを使っている息子ちゃん。…さまになってますね。^ ^

私のカメラを使っている息子ちゃん。…さまになってますね。^ ^

劣等感が悪い方向に作用してしまう場合

劣等コンプレックス

ここまで私は、「私たち誰もが持っている『劣等感』を、いい方向に利用できたらいいね」って感じのことを書きました。でも、劣等感がいい方向じゃなくって悪い方向に働いてしまうこともあります。

岸見さん、古賀さんはこれを「劣等コンプレックス」と呼んでいます。↓

劣等感それ自体は、別に悪いものではない。ここはご理解いただけましたね?アドラーもいうように、劣等感は努力や成長を促すきっかけにもなりうるものです。…(中略)…一方の劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のことを指します。具体的には「わたしは学歴が低いから、成功できない」と考える。あるいは「わたしは器量が悪いから、結婚できない」と考える。このように日常生活のなかで「Aであるから、Bできない」という論理を振りかざすのは、もはや劣等感の範疇に収まりません。劣等コンプレックスです。

『嫌われる勇気』(p.81,82)

劣等コンプレックスと原因論

「AだからBできない」というのは、「嫌われる勇気」で言うところの「原因論」的な考え方です。

私の悩みを例に出すと、例えば「周りの人の視線が気になるから、なかなか話しかけられない」とか。これは「周りの人の視線が気になる」っていう原因があって、その結果「人に話しかけられなく」なってしまった、っていう感じの考え方です。

他には「自分の容姿・性格が気になるから、好きな人にアプローチできない」とか。これ、昔々の私の悩みです(笑)。これも「自分の容姿がよくない(かっこ悪い)」っていう原因があって、その結果「好きな人にアプローチできなく」なってしまった、っていう考え方です。

「何かの原因があって、その結果こうなってしまった」って言われると、なんか科学的でもっともな風に聞こえます。でもそれって裏を返せば、「○○が原因で私(あなた)は○○になってしまった。だから、この現状は変えられないし、しょうがないことなんだよ。」っていうことです。

つまり、ある原因があってこの現状(結果)がある以上、現状は変えられない、しょうがない。これが「原因論」というものです。↓

人は怒りを捏造する!? ―目的論と原因論―
「人は怒りに駆られて大声を出すのではない、大声を出すために怒るのである。」これは、ビンボーパパが衝撃を受けた「目的論」という考え方です。「目的論」とは何か?なぜ「目的論」という考え方を理解しなければならないのか?…

そして、この考え方に異を唱えたのがアドラーなんじゃないかと思います。

撮影:息子ちゃん

撮影:息子ちゃん

原因論と目的論

問題は、現実にどう立ち向かうか

繰り返しになりますが、私たちはいろんな悩みや劣等感を抱えて生きています。その悩みや劣等感は、決して「しょうがない」って諦めるものなんかじゃなくって、私たちの考え方しだいで変えられるんだと思います。この、悩みや劣等感に対する「考え方」について、岸見さんと古賀さんは次のように言っています。↓

問題は、そうした現実にどう立ち向かうかなのです。もし「わたしは学歴が低いから、成功できない」と考えているとすれば、それは「成功できない」のではなく、「成功したくない」のだと考えなければなりません。…(中略)…単純に、一歩前に踏み出すことが怖い。また、現実的な努力をしたくない。いま享受している楽しみ――たとえば遊びや趣味の時間――を犠牲にしてまで、変わりたくない。つまり、ライフスタイルを変える”勇気”を持ち合わせていない。多少の不満や不自由があったとしても、いまのままでいたほうが楽なのです。

『嫌われる勇気』(p.83)

私たちは常に目的に沿って行動している

つまり、私たちは常に「目的」を持って行動しているってことです。

・「わたしは学歴が低いから、成功できない」 → 「成功したくない」という目的がある
・「周り(相手)の視線が気になるから、人に話しかけられない」 → 「人に話しかけたくない」という目的がある
・「自分の容姿・性格が気になるから、好きな人にアプローチできない」 → 「好きな人にアプローチしたくない」という目的がある

過去は変えられないけど、目的は変えられる

そして、とっても大事なことは、「『過去』は変えられないけど、『目的』は変えられる」ってこと。
ウンウン(゚▽゚*(。_。*(゚▽゚*(。_。*)

だから、もしも「私はいつも何かの『目的』を持って行動している」って考えることができるようになれば、「目的」を変えることができるし、その目的に沿って「行動」も変えることができるってことです。

これが、さっき書いた「原因論」とは反対側にある「目的論」ってやつです。↓

人は怒りを捏造する!? ―目的論と原因論―
「人は怒りに駆られて大声を出すのではない、大声を出すために怒るのである。」これは、ビンボーパパが衝撃を受けた「目的論」という考え方です。「目的論」とは何か?なぜ「目的論」という考え方を理解しなければならないのか?…

もしも「目的」を変えられたら…

さっき私は、「自分の容姿・性格が気になるから、好きな人にアプローチできない」という悩みがあったと書きました。

仮に、この悩みの背景にこんな出来事があったとしましょう。昔、私が好意を寄せていた女の子に意を決して告白したら、その女の子から「ごめん。アンタかっこよくないから無理…」って言われた。それがトラウマになってしまって、私はそれ以降、好きな子に近づけなくなってしまった…。(ちなみに、これは例えばの話ですよ、実話じゃありませんっ!)

もしもこんな出来事があったとしても、それは、「私は告白した女の子にフラれた。だから私は好きな子に近づけなくなってしまった」んじゃありません。

アドラー心理学では、この悩みを次のように考えます。「私は過去に、告白した女の子に『かっこよくないから無理』って言われてフラれた。それ以降、私は『好きな女の子に告白して自分が傷つきたくない』っていう目的をつくった。だから私はその目的に沿って、好きな女の子ができてもお近づきにならないようにしている」ってね。

これが「目的論」です。

確かに、好きな女の子にフラれたことで、自分自身には多かれ少なかれ影響があったでしょう。だとしても、それによって何かが決まるわけじゃありません。岸見さんと古賀さんも、次のように言っています。↓

たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによって何かが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるのかを選ぶのは自分なのです。

『嫌われる勇気』(p.30)

これを聞いてどうですか?

「私たちは過去に縛られるしかない生き物ではない。過去なんかには縛られず、目的しだいでは好きなように生き方を変えられる」って聞くと、なんだか生きるのが少しは楽になりませんか?

目的を変えられると、生きるのが楽になる?

私は『嫌われる勇気』を読んで、「私の生き方は、私の考え方(目的)しだいで変えられるんだ」っていうことを知りました。そうすると、ちょっとだけ生きるのが楽になりました(このブログのサブタイトルみたいですね…)。

このブログを読んでくださった方のうちの一人だけでも、「ちょっとだけ生きるのが楽になった」って思ってくれたら、私がブログを書いた甲斐がありますね。
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出典:岸見一郎、古賀史健 (2013)『嫌われる勇気』ダイヤモンド社​