自由とは、他者から嫌われることである ―自由とその代償―

落ち葉と秋雨。だんだん秋になってきました。
落ち葉と秋雨。だんだん秋になってきました。

ビンボーパパです。

今日、奥さんと話していてふと気づいたんですが、なんと、数日前が結婚記念日だったんです!!!
ド━゚(∀)゚━ン

なんということだ…。結婚記念日を忘れていたなんて…。
奥さん曰く、私は気づいてたんだけど、今はお祝いするお金がないから黙っていた、だそうです。これで結婚して満5年、そしてこれから6年目。結婚記念日を忘れてしまったこんな私ですが、これからもよろしくお願いします。
(。っ・Д・)っ[よろしく♪]

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常に周りの目を気にしてきたビンボーパパ

前回私は、承認欲求は人を苦しめる、承認欲求に縛られていては人は幸せにはなれない、ということを書きました。↓

承認欲求は人を苦しめる?
承認欲求という言葉があります。他人に自分の価値を認めてほしいと思う心理のことです。この承認欲求は人を幸せにしないと言います。なぜかというと…

この記事でも書きましたが、私は承認欲求の塊のような人間です(笑)。

私は常に周りの目を気にして、顔色をうかがって、ご機嫌を取りながら生きてきました。それは親に対しても、先生に対しても、学校の先輩や後輩・友達に対してもです。今思えば、とっても窮屈で息がつまりそうな生活をしてきたんだと思います。

ただ、幸いなことに私の両親は、私の進路や将来の職業・生き方に対してあれこれ注文をつける人ではありませんでした。「高校出たら何するのー?」「大学出たらどうするのー?」くらいは訊かれましたが、訊かれてもそこまででした。『嫌われる勇気』に出てくる青年みたいに、「親の工場を継ぎなさい」「あの大学に入りなさい」「図書館の司書になるのはやめときなさい」なんて言いながら私の人生に干渉する人ではなかったんです。

その点については、私は幸せだったなぁ…と感じています。
(^^♪

だから、私は将来の職業や進路・生き方を自由に決めてきました。
…周りの目は気にするくせにね(笑)。

なんだか矛盾していておかしいですが、そんな感じで今まで生きてきました。

突然やってきた不自由

結婚、そして子どもの誕生

でも、私は突然、自分の生き方に不自由さを感じるようになりました。それは、私が結婚して子どもができてからです。↓

モーレツ社員がイクメンに変身!その理由は…
イクメン、イクメンと言ってますが、かく言う私はもともとイクメンではありませんでした…。モーレツ社員として、子育てそっちのけで仕事ばっかりして、奥さんにワンオペ育児をさせてたのです。そんな私がイクメンになった理由とは…

それまで私は、自分一人の人生を自由気ままに生きてきました。そこに奥さんというパートナーがあらわれ、さらに子どもが一人、時間を空けてもう一人、私のもとにやってきました。

子育てと仕事の両立ができない

そこで私がどんな不自由さを感じたかというと、子育てと仕事の両立ができない、という不自由さです。
(;´Д`A “

私の生活が奥さんと子どもに縛られて不自由だ、なんて言っているわけではありませんよ、念のため。これは私が自分で決めた人生ですから。自分が自由に決めた人生が不自由だなんて、とんでもない!むしろ幸せ、望むところです。

以前も書きましたが、私の奥さんはうつ病を患っていて、子育てを担うのが難しい状況なのです。↓

ツレがうつになりまして ーうちの「ツレ」は奥さんですー
映画「ツレがうつになりまして」、通称「ツレうつ」。ちなみに、ここでの「ツレ」とは、奥さんではなく旦那さんのことです。この映画はうつ病になった旦那さんとその奥さんの物語ですが、わが家の場合は、うつ病になった奥さんとその旦那さんの物語です。

だから私は、子育てと仕事をうまく両立せんにゃならんくなりました。

子育てってめちゃくちゃ大変ですからね!

…今さら言うことでもありませんが(笑)。

なんせ、就職したての頃は子育てをほったらかして、モーレツ社員としてバリバリ仕事してましたから(子育て<仕事)。それが、子育てと仕事をうまく両立せんにゃならん(子育て=仕事)となると、不自由さを感じるのは当然でしょう…。↓

モーレツ社員がイクメンに変身!その理由は…(2)
育児放棄して仕事に打ち込んでいたモーレツ社員は、奥さんの入院に伴ってモーレツ社員を放棄、見事にイクメンへと変身しました(笑)。そこで子育ての大変さを痛感、奥さんの偉大さも痛感しました。そしたら今度は二人目を妊娠。ビンボーパパはさらに変身します…

あっちを立てたらこっちが立たず、というジレンマ

これも今だから思うことなんですが、子育てと仕事を両立せにゃならんかった当時の私にとって、求められる仕事が大きすぎました。でも、私はその求められる仕事をちゃんとこなさなば!と考えていました。でも、その一方で子育てもちゃんとせにゃなりません。

求められる仕事をきちんとこなそうとすると、子育てに手が回りません。子育てに重きを置くと、今度は求められる仕事がこなせません。当時の私は、そんなジレンマに苦しみ、悩みました。
ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿アワワ

やっぱり、仕事より子育て

で、結局私はその仕事をやめました。仕事を辞めたというのは、つまり、子育てと仕事をてんびんにかけた結果、子育てを優先した(子育て>仕事)、ということです。

…まぁ、親なら当たり前でしょう。これは私の意見ですが。

子育てと仕事を両立しにくい世の中

今の世の中、子育てと仕事の両立はとーっても難しい、というのが私の感想です。

もう少し具体的に言うと、自分に求められている仕事(やりがいのある仕事)をこなしながら、子育てもちゃんとこなす(「ちゃんと」って、どこまでが「ちゃんと」やねん!?ってツッコミは置いといてください…)っていうこと。

とっても歯がゆいですが、これが現実なんですね、たぶん…。

親の協力が得られるとか、パートナー(奥さんとか旦那さんとか)の協力が得られるとか、それができれば話は別なんでしょうけど…。

私は、誰もが子育てと仕事をうまく両立できる、そんな社会ができたらいいなぁ…と切に願っています。少しずつそうなっているような気はしますが、なかなか道のりは遠そうです…。
(´・ω・`)

秋雨と夕暮れ。日が暮れるのがだんだん早くなってきました。

秋雨と夕暮れ。日が暮れるのがだんだん早くなってきました。

周りの人からどう思われているかが気になる

職場での周りからの評価

話を元に戻します。

子育てと仕事の両立に悩んでいた私ですが、具体的に何に悩んでいたのかというと、それは職場での周りからの評価でした。

私の前の職場は、みんながけっこう夜遅くまで残っているようなところだったので、毎日決まった時間にささっと帰る私は浮いた存在でした。だって、そうしないと保育園が閉まっちゃうからね。あと、小さい子には病気がつきものですから、そのおかげでしょっちゅう遅刻したり早退したりせにゃなりませんでした。病児保育に空きがなくって一日休み、なんて時もありました。今となってはいい思い出です。
(-∀-`; )

そんな状況にいた私は、周りの目をかなり気にしていました。

「仕事たーっぷりあるのに、今日も早く帰るの?」とか「えーっ?今日、急に休みー?」とか「えー…今からすぐに帰んないといけないの?」とか…。

↑これ、私が周りの人から直接言われた言葉ではありません。ただ、私が勝手に「周りの人って、私に対してこんなこと思ってるんじゃないんかなぁ…」って考えてただけなんです。

ズバッと言ってしまえば、「被害妄想」といったところでしょうか…?私がいかに周りの目を気にしているか、これで分かっていただけるんじゃないかと思います。

周りの目ばかり気にすると、自由になれない

このように、「自分が周りの人からどう思われているか」ばっかりを気にしているとどうなるのかについて、岸見一郎さんは次のように言っています。↓

どう思われるかを気にしていると、行動の自由が制限される。自分が何をしたいということよりも、人に認められることの方が重要なので、何かをするか、しないかを自分では決められなくなる。他者が自分の行動の決定権を持つことになるのである。…(中略)…人からよく思われたい、人から嫌われたくないと思う人は、自分がいいたいこと、したいことがあっても、いわないし、しない。自分では行動の指針を決められず、確固たる方向を見据えた自分の人生を生きることができない。

『幸福の哲学』(p.156,157)

当時の私はまさにこの状態。周りからどう思われているかばっかり気にして、自分がどうしたいか・どうありたいのかが分からなくなってました…。

自由とは、他者から嫌われることである

ここからやっと本題(?)に入りますが、私のように周りからの視線にびくびく震えている人が、どうすればそれを気にせずに済むのか?

私のように生き方に不自由さを感じている人が、どうすればもっと自由でいられるのか?

岸見一郎さんと古賀史健さんによれば、それが「他者から嫌われる勇気を持つこと」なんです。↓

哲人 何度もくり返してきたように、アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。ここまで考えれば、「自由とは何か?」の結論は見えたも同然でしょう。…(中略)…すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。…(中略)…あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。…(中略)…自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。

『嫌われる勇気』(p.162)

自分が誰かから嫌われているということは、つまりそれは自分自身が自由に生きていることの証である、ということです。もっとも、前の職場にいた頃の私が、本当に周りの人から嫌われていたかどうかは分かりません…。

でも、自分自身が自由であろうとするとき、自分自身が信じる道を歩こうとするとき、そこには「他者から嫌われるかもしれない」というコストが発生します。そのコストを払う勇気を持てた時、人は自由になれるんじゃないでしょうか?
(`⌒´)ノ

…そういう意味では、私はまだ道半ばですが(笑)。

ただ、私は前の仕事を辞めて、少しでも子育てと仕事が両立しやすい仕事に変わる、という選択をしました。転職するというのはとっても大きな決断ですが、私は、それが正しい道だと信じて行動しました。この行動の裏には、「職場の人に迷惑をかけるかもしれない」「陰口を叩かれるかも知れない」という代償もありました。

そのような「コスト」を払って行動できた、という意味では、ほんの少しだけ「嫌われる勇気」を実践できたのかもしれません。
^ ^

出典:岸見一郎 (2017)『幸福の哲学』講談社現代新書​
岸見一郎、古賀史健 (2013)『嫌われる勇気』ダイヤモンド社​

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