課題の分離は難しい ―子どもとトイレ―

若かりし頃の息子ちゃん。いまも十分若いんだけど(笑)。
若かりし頃の息子ちゃん。いまも十分若いんだけど(笑)。
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課題の分離をしてみたけれど

ビンボーパパです。

私は以前、課題の分離について書きました。↓

イライラしない子育てをする方法 ―課題の分離という考え方―
イライラしない子育てをするために必要な考え方の一つが、課題の分離。課題の分離ができれば、目の前の景色が少しシンプルになります。ビンボーパパは、この課題の分離を子育ての中で実践してみました。課題の分離とは…

これは、便秘で困っていた息子ちゃんと、それにイライラしていた私の話です。記事ではこんな風に書きました。

課題の分離をしてみたところ、日々の生活が少しだけ楽になった。カリカリしなくなったというか、少々のことは大目に見られるようになったというか…。

あ、もしもイライラしたら、この方法、試してみてくださいね。↓

子どもに怒りそうになったら ―イライラを鎮める3つの方法―
「子育て」と「怒ること」とは、切っても切れない関係があります。子育ての中で怒るのは仕方のないこと。でも、誰しも好き好んで子どもに怒るわけではありません。では、子どもに怒らないようにするには、どうすればいいのか…?

「課題の分離」について、少しおさらいします。「嫌われる勇気」には次のように書いてあります。

たとえば、なかなか勉強しない子どもがいる。授業は聞かず、宿題もやらず、教科書すらも学校に置いてくる。さて、もしもあなたが親だったら、どうするか?

このように「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」と考える。子どもが勉強するのかしないのか。あるいは、友達と遊びに行くのか行かないのか。これらは本来「子どもの課題」であって、親の課題ではない。それに対して親が「勉強しろ」と言うのは、他者の課題に対して土足で踏み込むような行為である。

私たちは「これは誰の課題なのか?」を考えながら、自分の課題と他者の課題を分離する必要がある。そして、私たちがやるべきことは、他者の課題には踏み込まない、それだけである。

誰の課題かを見分けるには、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えればよい。

(p.139〜141)

そこで私はこう考えました。
「息子ちゃんがうんちを出すか出さないかは私の課題ではなく、彼の課題である。だって、うんちを出さずにいて困るのは息子ちゃんなんだから」

ということで、私は息子ちゃんのトイレにあまり深く干渉せず、程よい距離からそっと見守ることにしたのです。

でも、その後で問題が起きました…。

息子ちゃん、うんちが出なくなっちゃった

結局あの後しばらくして、息子ちゃんは自分でトイレに座ってうんちを出すことができなくなったのです。
(´・ω・`)

私は彼にこう伝えていました。

「うんちが溜まった時、しんどかったよね。これからそうならんように、毎日トイレに座ってうんちを出したらいいと思うよ。うんちを出したくなったらいつでもパパに言ってね」

息子ちゃんは今まで何度も便秘で往生してきたから、その苦しみは理解しているはず。だから、そこがきちんと自分の頭で理解できてれば、自ずとトイレに座るようになるはず、って思ってました。

そんな経緯で彼に下駄を預けてみたんですが、結局はうまくいきませんでした。

つまり、息子ちゃんはその後一人でトイレに座ろうとはしなかったんです。「んーーっ!!」って気張ってても「うんちじゃないっ!」って言うし。確か一度か二度は、一人でトイレに座ってうんちしたことはあったけど。

息子ちゃん、病院へ行く

それでどうなったかと言うと、自分からトイレに行かないもんだからだんだんうんちが溜まってって、しまいにはほとんど歩けないようになってしまいました。保育園に行っても突っ立ったっきりで、全然動けません。そして、見るに見かねた保育園の先生から電話がかかってきました。「病院に行った方がいいかも知れません…」ってね。それからのことははっきりとは覚えてないんですが、小児科に連れてって浣腸してもらったような気がします。その時に確か病院のトイレが詰まったような…。

どんだけ溜まっとったんやー!
(´⊙ω⊙`)

後々になって息子ちゃんから聞いたことですが、曰く「うんち出したくない。だってつまらんのんだもん」とのこと。

どう言う意味なんだろう?

ひょっとしたら、うんちを溜め続けたら後々自分がしんどくなるってことがまだよく分からないのかも知れませんね…。それとも、毎日トイレに座ってうんちを出すという習慣が本当にめんどくさい・苦痛である、ということかも知れません。とにかく、彼はうんちを出したがりませんでした。

ほんとによく食べる息子ちゃん。食べただけ出してくれたら嬉しいんですけどね…。

ほんとによく食べる息子ちゃん。食べただけ出してくれたら嬉しいんですけどね…。

周りの人に迷惑はかけたくない

もしも私一人の手で彼を育てていたら、彼がどんだけしんどくなってもこっちから手を差し伸べることはなかったと思います。ただひたすら見守って、「うんち出したい」とか「トイレ座る」とか言われた時にはじめて手伝ってあげたらいいや、くらいに考えていました。

でも、実際は私一人で息子ちゃんを育てているわけじゃありません。お母さんとか、保育園の先生とか、お兄ちゃんお姉ちゃんとか、親戚の人たちとか…。いろんな人たちに囲まれて育っています。そして彼の周りの人達は、お腹にうんちが詰まって歩けなくなった息子ちゃんを見てひどく心配するのです。保育園の先生なんかは、特にそうでしょう。だってお昼に電話してくるくらいだから…。つまり、私は息子ちゃんに放置プレイをしたおかげで、彼の周りの人たちに心配(なんなら迷惑)をかけまくっていた、というわけです。
(-_-;)

うーん…これはよくない。彼一人がしんどい思いをするんならいいんだけど(本当にいいのかしら?)、そのせいで周りの人に迷惑をかけることはしたくありません。こんな風に考えるようになってからは、彼にトイレのことを全て任せるのはやめました。

一日一回トイレに座るというルールを作る

今は「一日一回はトイレに座ってうんちを出すこと」をルールにしてます。余裕がある時は朝(まず余裕はないけどね(笑))、それがダメなら夜にトイレに座ってもらっています。「えー…。うんち出すの嫌だー」って言うことはたまにあるけど、それでも何だかんだ言いながらだいたい毎日はうんちが出てると思います。

またいつか時機を見て、彼にトイレのことを任せるようにしたいなぁ。

…それはいつになるんだろ?

課題の分離をする理由とは

私が以前課題の分離について書いた理由は、子育ての中で生まれるイライラをなくすための方法の一つとして、課題の分離が役に立つんじゃないかと思ったからです。

自分の課題と他者の課題を切り分けた上で、他者の課題には踏み込まない、自分の課題には逆に踏み込ませない。それが課題の分離という考え方です。

息子ちゃんのトイレについての私の考えはこうでした。

「うんちを出すのはあなた。うんちを出さずに困るのもあなた。だからこれはあなたの課題よ。」

でも実際は、うんちが出ないと、息子ちゃんだけじゃなくって他の人も困っちゃう。それに健康によろしくないし。どうやら、彼一人で対処するにはまだ早いみたいです。

若かりし頃の息子ちゃんpart2。…だから、まだ若いんだって(笑)。

若かりし頃の息子ちゃんpart2。…だから、まだ若いんだって(笑)。

だから、子どもの基本的な生活習慣を身につけさせるのは私の課題なんじゃないかと考えるようになりました。

そしてまた、課題の分離ができるようになるには、本人にある程度の知識と経験が必要なのかも知れないとも思いました。やっぱり、息子ちゃんにはまだ少し早かったのかも。

この課題は誰の課題?

課題の分離について深く考えると、「これは誰の課題なのか?私の課題なのか、それともあなたの課題なのか…」がよく分からなくなってきます。「嫌われる勇気」によると、課題の分離ができれば、人生は驚くほどシンプルになるといいます。

課題の分離がうまくできない私にとって、人生はまだまだ混沌として糸が絡み合ったような姿なのかも知れません。それがシンプルなものになるよう、これからも課題の分離について考え続けなければ…。

課題の分離って、難しい…。
(ーー゛)

「嫌われる勇気」の広告リンク

出典:岸見一郎、古賀史健 (2013)「嫌われる勇気」ダイヤモンド社​