私は家族の役に立っている ―他者貢献という考え方―

洗い物と子どもちゃん。
洗い物と子どもちゃん。子育てをする親にとって、洗い物は大敵です…。
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子育てでイライラしたくない!

ビンボーパパです。
この前、アリが突然家の中に大量発生して参った参った…と書きました。その後私は、とうとうアリの発生源を突き止めました。それは、引き戸のレールと壁の間に空いているほんの小さな穴。そこをティッシュで詰めてやりました!これで一安心…のはず。残った残党アリは、見つけ次第速やかに処分いたします。
(^^ゞ

以前、私はイライラしない子育てをする方法の一つとして、「課題の分離」という考え方を取り上げました。
詳しくはこちら。↓

イライラしない子育てをする方法 ―課題の分離という考え方―
イライラしない子育てをするために必要な考え方の一つが、課題の分離。課題の分離ができれば、目の前の景色が少しシンプルになります。ビンボーパパは、この課題の分離を子育ての中で実践してみました。課題の分離とは…

上の記事に書いた通り、私は育児の中でよく子どもに怒ります。イライラします。…そして疲れます。詳しくはこちら。↓

子育てとイライラ
ビンボーパパは、育児・家事・仕事で毎日がてんてこ舞い…。まるで先の見えない綱渡りをしているようです。そして私は子どもたちに対して、まあよく怒ります。朝5回、夜15回、足して一日20回くらい…(笑)。それでは、いったいどんな時に怒るのかというと…

イライラしたり怒ったりすることによって、どうやら体力と神経をたくさんすり減らしてしまうようです。
(´ー`)

・イライラしたくない。
・ましてや怒りたくもない。
・そして疲れたくない。
・大げさに言ってしまえば、イライラしそうな時でも鼻歌なんかを歌っていたい。

私は、そんな風に子育てができる方法を血眼になって日夜探しています。
(O_O)

その方法の中の一つとして私が実践しているのが、「課題の分離」なんです。
まぁ、なかなか思うようにできませんが…。

今回は二つ目の方法、「他者貢献」という考え方について書こうと思います。

子育てと家事 ―なんで私ばっかり…?―

私は家庭の事情ゆえ、子育てと家事の多くを担っています。というのも、以前も書きましたが私の奥さんはうつを患っていて、今もその治療をしているところなんです。
私はうつ病について詳しいわけではないんですが、激しく落ち込んだり、希死念慮(特に理由はないけど、なんとなく死にたくなる・消えたくなる、という感覚)を持ったり、自己肯定感が特に低かったり(私はダメな人間だ…という感覚)…。奥さんにはそんな症状があります。

ただでさえしんどい家事と子育てですが、うつ病を持つ親にとっては特にしんどいんじゃないか…というのが私の感想です。別に調べたわけではありませんが、周りから話を聞いたり、ネットでブログなんかを見たりしてそう感じました。

以前私は映画「ツレうつ」について書きましたが、「ツレうつ」にはうつの典型的な症状が描かれています。「ツレ」がある日突然料理が作れなくなったり、布団から起きられなくなったり…。詳しくはこちら。↓

ツレがうつになりまして ーうちの「ツレ」は奥さんですー
映画「ツレがうつになりまして」、通称「ツレうつ」。ちなみに、ここでの「ツレ」とは、奥さんではなく旦那さんのことです。この映画はうつ病になった旦那さんとその奥さんの物語ですが、わが家の場合は、うつ病になった奥さんとその旦那さんの物語です。

私の奥さんも似たような症状を持っています。ある日突然…というわけではないかも知れませんが、台所に立つのがしんどくって料理が作れないとか、洗濯物が干せないとか…。これが側から「甘えてる」ように見えたとしても、実際はそうではありません。これは当事者にとっては大変辛いものなんです。

私はさっき「家庭の事情」と書きましたが、つまりこういうことです。前置きが長くなりましたが、このような事情があるので、私は家事とか子育てとかをいろいろやってます。あんまりうまくはいきませんが(笑)。奥さんは、出来る範囲で家事をやってくれます。掃除とか洗濯物とか、そういうのをやるのは好きらしいので。とっても助かってます。
^ ^

子育てを頑張る親にとって、家事の負担というのはハンパないものがあります。一般論ですが。特に、仕事終わりに家に帰ってご飯を作るのがしんどい、という声をテレビで聞いたことがあります。私は激しく同意します。
(´-ω-`)

ちなみに、私の子育ての日課についてお話しすると、

17:30 定時・退勤
18:50 保育園にお迎え
19:30 食事の準備
20:00 晩ごはん
20:30 皿洗い
21:00 子どもちゃんと一緒にお風呂
22:00 子どもちゃんと添い寝・私も寝落ち

6:00 起床

って感じです。
保育園にお迎えに行くまではまだ元気が残ってるんです。そこから、少しずつ体力と精神力が削がれていきます。子どもちゃんによって(笑)。帰りに二人抱っこなんてしようものなら、一気に体力が減っていきます。なんせ、二人合わせて34kgあるので。とっても体に応えます。
^^;

家に帰ると、間髪入れずにご飯の準備です。私の理想は一汁三菜なんですが、ここ最近は作った試しがありません。一汁二菜ならまだいい方で、ひどい時は丼ものひとつ。例えばカレーとか麻婆豆腐とか…。もっとひどくなると、外食かお弁当になります。これだと食費がかさむので、頑張って家で作るようにはしています。

他者貢献とは何か?

さて、ここからが本題なんですが(まだ前置きだったのー?)、家で家事をしていると、たまーにこう思うことがあります。

・なんで私ばっかりこんなことせんにゃいけんの?
・だーれも手伝ってくれんし…。
・あぁ、もう、なんかイライラ…。

料理と子育て。この日のご飯は麻婆豆腐でした。私の得意料理!^ ^

料理と子育て。この日のご飯は麻婆豆腐でした。私の得意料理!^ ^


麻婆豆腐。我ながら、おいしそー!

麻婆豆腐。我ながら、おいしそー!


これって多かれ少なかれ、どんな家庭にでもあるんじゃないでしょうか?こんな愚痴がこぼれない家庭があるとすれば、それは私の理想の家庭に違いない!私は、こんな不満を解決してくれるのが「他者貢献」という考え方ではないかと思っています。「嫌われる勇気」には、「他者貢献」について次のように書かれています。

哲人:仲間である他者に対して、何らかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること。それが他者貢献です。…(中略)…つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

(p.237,238)

…抽象的でよく分かりませんね(笑)。「他者貢献」の具体例に触れてみましょう。

哲人:次のような場面を想像してください。ある家庭で夕食が終わった後、食卓の上に食器が残されている。子どもたちは自分の部屋に戻り、夫はソファに座ってテレビを見ている。妻(わたし)が後片づけをするほかない。しかも家族は、それを当然だと思っていて手伝う素振りも見せない。普通に考えれば、「なぜ手伝ってくれないのか?」「なぜわたしだけ働かないといけないのか?」という状況です。

しかしこのとき、たとえ家族から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片づけながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。他者がわたしに何をしてくれるかではなく、わたしが他者に何をできるかを考え、実践していきたいのです。その貢献感さえ持てれば、目の前の現実はまったく違った色彩を帯びてくるでしょう。

(p.241)

そしてこの話は、「幸福とは何か」というテーマへと移ります。長いですが、まとめて引用しますね。

哲人:人間にとっての不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。

…(中略)…この場合の他者貢献とは、目に見える貢献でなくともかまわないのです。

…(中略)…あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。ほんとうに貢献できたかどうかなど、原理的にわかりえない。つまり他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。

…(中略)…すなわち「幸福とは貢献感である」。それが幸福の定義です。

(p.252,253)

幸福とは貢献感である、とはっきり書いてありますね。それではさらに具体的に、私の家庭を例に挙げて幸福について考えてみます。

人は、誰かの役に立っていると感じた時、幸せになれる

「『私は誰かの役に立っている』という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれる」という一文は、まさにその通りだと思います。私たちは、「誰かの役に立っている」と感じると嬉しくなるものです。

仕事の本質についても同じように、「他者に貢献すること」や「誰かの役に立っていると感じること」である、と「嫌われる勇気」には書いてあります。「お金を稼ぐ」ということが、仕事をする上で大きな目的なのは確かです。私だって、お金を稼ぐために仕事をしています。しかし仕事の本質はそれだけではなく、他者に貢献することも重要なんです。例えば、一生に使い切れないほどのお金を稼いでもなお働き続ける人は、お金のためではなく、自分が誰かの役に立っていると感じるために働いている、というわけです。

ちなみに、私も「誰かの役に立ちたい」と思って仕事をしてはいますが、どっちかというと、「衣食住に事欠かない程度にもっと稼ぎたい」という意識の方が強いような気がします(笑)。確かに、ある程度はお金がないと人は生活できません。逆に言うと、私たちが生きていくためにはお金が必要不可欠です。それでは、お金があればそれだけで幸せに暮らせるのかというと、そうではない気がします。この「幸せ」にとって必要なのがきっと他者貢献なんでしょう。人が大富豪になってもなお働き続ける理由が、ここにある気がします。

この話を子どもがいる家庭に当てはめると、どうなるんでしょうか?仕事でも交友関係でも家庭でも、やっぱり「私は誰かの役に立っている」という感覚がないと幸せにはなれません。ところが、夫や子どもを含めた家族はだーれも私に「ありがとう」の一言も言ってくれない。そんな場面でどうやって「誰かの役に立っている」と感じることができるのか?「嫌われる勇気」によると、それが私の主観的な感覚、つまり貢献感なんです。

このことを知ってからは、私の考え方がほんの少しだけ変わったような気がします。以前はおそらく、疲れて家に帰ってきて、ブツブツ文句を言いながら溜まった洗い物を片づけてたんだと思います。なんでこんなことをせんにゃいけんのか?奥さんはやってくれんし…。

それが今では、「この皿洗いをすることでうちの家族に貢献できてるんだ…」と思えるように意識するだけで、なんだか気持ちが軽くなったような気がします。やっぱり、「誰かの役に立っている」と思えるだけで、人は幸せになれるんだと感じました。
^ ^

息子ちゃんと皿洗い。最近、よく皿洗いを手伝ってくれる息子ちゃん。私にとってはとても役に立っています。

息子ちゃんと皿洗い。最近、よく皿洗いを手伝ってくれる息子ちゃん。私にとってはとても役に立っています。


なので、私はイライラしたり疲れたりした時に、「私は家族の役に立っている。私は家族の役にたっている。私は―…」と意識するように努めています。そう意識することで貢献感が芽生えて、ちょっとでもイライラが減ったり、ちょっとでも幸せな気分になれたらいいなー、と思っています。

まぁ、現実はそう甘くはないので、どうしてもイライラして怒ってしまうことはありますが(笑)。

大切なのは、主観的に貢献感を感じられること

ここで、私が大切だと思ったことが一つあります。それは、「私が誰かの役に立っているかどうかを判断するのは、私自身ではない。これは他者の課題であって、私が介入できる問題ではない」ということ。

出ました、課題の分離!ここでも課題の分離が必要なんですね…。
人の頭の中を覗いて、その人が本当はどう思っているかを見られたらいいんですが、それは残念ながらできません。他人がどんなことを考えているかは永遠に分からないんですね…。つまり、他人(私の周りの人)から見て、私が誰かの役に立っているかどうかなんて分かりようがない、ということです。だったら、私自身が「誰かの役に立っている」と感じれば、すなわちそれは「私が他者に貢献している」と考えるようにしましょう、ということです。そうやって主観的に貢献感を感じられることが、幸せに生きていくためには必要である、ということが「嫌われる勇気」には書いてあります。

私なりに噛み砕いて書いたつもりですが、書いてある内容が小難しいので、うまく伝わってくれれば嬉しいです。

ちなみに、私の他にも「他者貢献」についてウェブサイトに書いている人がたくさんいます。
こちらは心理研究家の牧村和幸さん。↓

自分の価値は他者への貢献によって得られる
自分の価値は他者への貢献によって得られるということについて、解説していきます。

こちらは、ダイヤモンドオンラインの記事。幸せに生きるためのヒントについて、岸見一郎さんがいろいろと話しています。↓

アドラー心理学が教える幸せに生きるための3つのヒントとは?
我々の常識を次々と覆すアドラー心理学。『嫌われる勇気』はその理論をわかり易く解説して37万部のベストセラーに! 同書著者・岸見一郎氏が、宮台真司氏、神保哲生氏と行った鼎談の後編を公開。「共同体感覚」とは何か。そしてアドラー心理学が教える「幸せに生きるための3つのヒント」とは。

今回はイライラしない子育てをする方法として、また、「私は家族に貢献しているんだ」と感じながら少しでも幸せになる方法として、「他者貢献」を取り上げました。かなり端折って言うと「嫌われる勇気」には、「他者貢献」以外にも幸せになるための方法が書かれています。それは「自己受容」「他者信頼」です。前に書いた「課題の分離」は、自己受容・他者信頼・他者貢献を実践するための入り口という位置づけです。そして、アドラー心理学が目指す対人関係のゴールは、「共同体感覚」というものです。
なんのこっちゃ?
(-“-)

今挙げたキーワードについては、これから少しずつ、私の体験を交えながら分かりやすく書きたいなぁ…と考えています。
(^○^)

「嫌われる勇気」の広告リンク

出典:岸見一郎、古賀史健 (2013) 嫌われる勇気 ダイヤモンド社​