人は怒りを捏造する!? ―目的論と原因論―

近所の公園に向かう子どもたち
近所の公園に向かう子どもたち。この年の子どもたちに公道を歩かせるのは、ヒヤヒヤものです…。^ ^;
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「怒り」の原因と目的

ビンボーパパです。^ ^
だんだん暑くなってきましたね。今日、子どもちゃんと一緒に家に帰ってきたら、部屋の温度が28℃でした。夏日です…。来週から仕事着を半袖シャツにしようかと考えています。

今回は、怒りの感情について書こうと思います。
なぜなら、ビンボーパパは毎日子どもちゃんに怒ってばっかりだから。怒るって、結構大変なんですよね。怒る側はエネルギーを消費して疲れちゃうし、その後しばらくの間は不機嫌になるし。怒られた側も気持ちよくないし…。できれば、怒りたくはないんです
^^;

そんな折、育児の傍で「嫌われる勇気」を読みました。
そして、こう考えました。
育児の中で子どもに怒ったり当たったりすることを、いかにしたら避けられるんだろうか?

ちなみに、日頃の私はこんなにたくさん怒ってます(笑)。↓

子育てとイライラ
ビンボーパパは、育児・家事・仕事で毎日がてんてこ舞い…。まるで先の見えない綱渡りをしているようです。そして私は子どもたちに対して、まあよく怒ります。朝5回、夜15回、足して一日20回くらい…(笑)。それでは、いったいどんな時に怒るのかというと…

以前私は、「毎日毎日、私はとにかく子どもに怒ってばっかり」と書きました。「嫌われる勇気」では、この怒りの感情について触れられています。

そこでは「原因」「目的」という二つのキーワードを元に、人の行動や人生における選択がどのようにして決定されるのか、について議論しています。以下はその一節です。

青年があるエピソードを紹介します。

ある日、青年が喫茶店で本を読んでいると、通りがかったウェイターが青年の上着にコーヒーをこぼしてしまいました。カッとなった青年は、思わず大声で怒鳴りつけました。(p.32,33)

このエピソードの後、青年は次のように続けます。

これはどう考えても「原因」ありきの行動でしょう?だって、あまりに突発的な出来事でしたからね。考えるよりも先に声が出てしまったのです。(p.33)

これに対して、哲人は次のように話します。

あなたは「怒りに駆られて、大声を出した」のではない。ひとえに「大声を出すために、怒った」のです。つまり、大声を出すという目的をかなえるために、怒りの感情をつくりあげたのです。(p.33,34)

人は、大声を出すために怒る

これは衝撃的な内容でした。
まさに目から鱗!「大声を出すために怒った」だなんて。
それじゃあ、毎日子どもに怒りまくっている私は、まるで怒りたくて仕方がない人みたいですね。
( ̄▽ ̄;)

普通(普通ってなんだ?)、私たちが何か言動を起こす時って、その原因について考えるものです。

・子どもが言うことを聞かないから、怒って叱った、とか
・あの人の仕事のこなし方が許せないから、腹が立って文句を言った。、とか
・他人と会って喋るのが怖いから、外に出ずに家に引きこもる。、とか

多くは、「◯◯だから」という原因を見つけ出すんですね、私たちって。

青年は、さっきとは別のエピソードにも触れています。
彼の友人が、過去にあった何らかの原因によって引きこもりになってしまったのではないか、という話です。

それに対して、哲人はこう語ります。

さて、もしもあなたのおっしゃるように、あまねく人の「現在」が、「過去」の出来事によって規定されるのだとすれば、おかしなことになりませんか?
だってそうでしょう、両親から虐待を受けて育った人は、すべてがご友人と同じ結果、すなわち引きこもりになっていないとつじつまが合わない。過去が現在を規定する、原因が結果を支配するとは、そういうことでしょう。

そこでアドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。

ご友人は「不安だから外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。

アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます。(p.26,27)

原因論と目的論

いや、何度聞いても目から鱗です。鱗しか落ちません!
どうやらこの「目的論」が、アドラー心理学の肝になりそうです。

また哲人は、青年のように「◯◯だったから◯◯できない」と過去に原因を見出そうとする考え方を「原因論」と呼んでいます。議論の行方は、「目的論」と「原因論」のどちらを私たちは選ぶべきなのか、に移ります。

哲人は、こう言います。

われわれはタイムマシンで過去にさかのぼることなどできませんし、時計の針は巻き戻せません。もしもあなたが原因論の住人になってしまえば、過去に縛られたまま、この先ずっと幸せになることができなくなります。(p.37)

青年が反論します。

そうですよ!過去は変えられないからこそ、この生は苦しいのです!

私だって(原因論を)認めたくはありません。認めたくはありませんが、過去の力は強いですよ!(p.37,38)

哲人が返します。

可能性を考えるのです。もしも人間が変われる存在だとするなら、原因論に基づく価値観などありえず、おのずと目的論に立脚せざるをえないと。(p.38)

人間は、過去に縛られた生き方しかできない、そんな弱い生き物ではない。自らの過去など関係なく、常に何らかの目的を持って今を生き、またこれからの行動を決定することができる。それが人間である。

アドラーはきっとこのように考えていたんだろう。この章を読みながら、私はこう感じました。
ビンボーパパも、アドラーや哲人のように強くありたい…。

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出典:岸見一郎、古賀史健 (2013) 嫌われる勇気 ダイヤモンド社​

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